病む前兆がなんとなくわかるようになった。
でも、忙しさと疲れた身体のおかげで今は落ちている暇はない。
どうも、きとんむです。
心のモヤモヤが濃くなってきて、Xに長文をポストしてしましました。
どうせならブログに書いた方が、すっきりするのかなと思って
今日は早く寝てメンタル回復させようと思っていましたが、パソコンを立ち上げてしまいました。
余裕がないときは、欠点ばかりに目がいってしまいます。
ギャンブルで暴走していたからこそ、注目されていた自分が
ギャンブル抜きだと、ただのつまらないオジサンになってしまうことを自分が一番よくわかっていました。
応援してくれている人もいる、心強い仲間もいる、大切な友達もたくさんいる、そして何より暖かく迎え入れてくれた家族がいる。
これだけで、本当はすごくすごく恵まれていること。
わかってはいるんです。
ただ、どうしても気持ちが落ちてしまうときがあります。
何が原因なんでしょうか。
人生の強烈な失敗、過去の負債(借金も含めて)、自分の能力の無さ、自分つまらなささ、お金の無さ、考えたらいくらでも出てきそうです。
ふと、それに気づいたとき病んでしまいます。
X、配信、ブログ
自分は何のためにやっているのでしょうか。
「承認欲求を満たすため」たぶんそうなのかもしれません。
数字として表れます。
Xのいいねの数や、ブログのアクセス数、配信なら同時視聴者数、コメント数、アイテム数など。
ここ10年以上、ネットでの生活に重きを置いてきた自分からすると、
ネットでの存在価値が薄れてきたように思えてきます。
ご飯のポストなら伸びるのに、配信というワードや、これから〇〇頑張るぞー!といったポストは
みんな関心がないのか伸びません。
まぁ、メシウマ勢は言うでしょう
「ギャンブル狂いで借金まみれのお前が面白かっただけで、元気に平凡に暮らしてるお前には興味ねーよ」と
あの逆境から、よく立ち直った、元気になった、頑張ってるね
と思ってくれる人はそう多くないんだと思います。
逆に、調子乗ってんなコイツぐらいで見ている人の方が多いのかもね。
そう考えちゃってしまっています。
これが、ネット依存症の悪いところですね。
もちろん、ネットでは数々の楽しいの思い出や、かけがえのない仲間との出会い、それ以外でいいこともたくさんありました。
だから、今の僕があると言っても過言ではありません。
ネットを辞めるつもりのない僕は、そういったストレスとはこれからも上手く付き合っていかなくてはいけないのだと思ってます。
とにかく、自分に余裕がない、だから気にしてしまう。
これが根本の原因かもしれません。
早くリアル生活も充実させたいものですね。
まだまだ先になりそうですが。
お見苦しいところを見せてしまってごめんなさい。
では、今日は寝ます。
また配信もやりたいなと思ったときにやります。
わがままですみません。
おやすみなさい。
最後まで読んでくれてありがとう。
コメント
こんばんは
ちょくちょく拝見しています
私はきとんむさんの苦しみの原因の一つに反社会性パーソナリティ障害があるのではないかと思っています
反社会性パーソナリティ障害と聞くと、人はすぐに犯罪者であるとか社会に対して反発している悪者だというイメージを持ちやすいですが、そんなことはありません
反社会性パーソナリティ障害というのは、社会に対して適応することが難しいが故に、結果として反社会的な側面を持ってしまう障害です
例えば、ふと悪気なく言った言葉
それを人から指摘されて、あぁ、しまったな、自分本意な発言だっと気付く
これは単なる不注意ではなく、そもそも悪意を含む発言を自覚できない障害なのです
それが、反社会的な側面を持てば反社会性パーソナリティ障害となるというだけの話です
反社会性パーソナリティ障害の診断基準となる明確ないくつかの項目には、経済的に無責任である(金銭に関してのルーズさ)とか、または社会に対しての責任感の薄さ(唐突に退職する)などがあります
反社会性パーソナリティ障害が犯罪のイメージを持たれる訳は、そういった生きづらさの果てに犯罪に至る可能性が高いためです
ヤクザなどを指す反社という意味とは根本的に関係がないのです
また、反社会性パーソナリティ障害の診断基準項目には自己の正当化が含まれます
これは、自身の言動を振り返り正誤を判断する時に、客観的な事実や現実よりも自分が合理性を感じたことを優先して正誤を判断するというものです
言ってみれば「私が納得する理由が採用される。なぜならわたしの人生だからだ。」ということですね
もちろんそれが誰にも迷惑や負担にならないことなら問題ありません
人には根本的に自由がありますから
しかし社会の一員として生きていく場合にはその限りではありません
そこに反社会性パーソナリティ障害の痛みがあります
反社会性パーソナリティ障害は、あくまでも自己の自由を、社会の中で実現できないことにストレスを感じるのです
多くの人の輪の中でその一員として存在することを望むと「同時に」個人としての自由を実行しようとするのです
すると当然社会の中で協調している人は離れていきますね
だから似たような人が集まります
要するに「誰かと繋がりを持ちたいけれど個人としての自由を実行しようとする人」の群れが生まれるのです
一時期同じ方向を向いているからと手を取り合っても、やはり人の輪の中で個人としての自由を実行すると関係は薄れていきます
これは自分の中に他人が息づいていないために起きることです
これを読んであなたはもしかすると自己を正当化する合理性ある理由を自分の中に求めるかもしれません
色んなことを言う人がいるから
僕は僕だ
嫌な人は排除したい
しかし考えて下さい
それは客観的に見てどうですか?
さらなる孤独へ進むだけでは有りませんか?
もっと心が渇くのではないですか?
耳障りのいい励ましも大切です
優しい手を差し伸べることも必要です
痛みに手当する誰かもいるでしょう
その果ての今日です
今日の苦しみです
あなたは犯罪者ではありません
当然です
しかし、別の意味で反社会性パーソナリティ障害を調べてみてくれると私はとても嬉しいです
こんばんわんこそばさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
反社会性パーソナリティ障害について
「例えば、ふと悪気なく言った言葉
それを人から指摘されて、あぁ、しまったな、自分本意な発言だっと気付く」
これは、たまにあります。
そういうことがあるので、自分では考えて発言するようには気を付けていたりします。
それでも、ふとした時、失敗します。
ギャンブルしているときは特に、自分のことしか考えられなくなります。
余裕がなくなり、死という逃げ道があるからと無責任になったりしますね。
そういう時は、全くと言っていいほど周りのことは考えられませんでした。
沢山迷惑をかけてしまいました。
今はなぜ、ネットで活動しているか目的を見失いかけています。
最初は、自分の辛い気持ち、失敗を誰かに共感してもらいたい。
現実社会にはない、新たな居場所を求めて始めました。
社会とは違い、利害関係もなく、嫌な人とは付き合わない
ネットはそういうスタイルでいいと思っています。
こんばんわんこそばさんみたいに、丁寧に話してくださる方は嫌な人だとは全く思いません。
ただ、今までいろんな人が私にアドバイスをくれましたが、
根本的な解決には至りませんでした。
自分でも頭で理解していることは沢山あります。
ですが、それが精神と一致しません。
最近は、この病みやすいネガティブな性格は生まれつきのもので、治らないとさえ思っています。
だから、一時的ではありますが吐き出す場所が必要なのです。
コメントへの返信になっていなかったらごめんなさい。
他人の気持ちを理解しようとはしていますが、どうしても自分中心の考えが癖づいちゃっているかもしれません。
こんばんは
お返事コメント、本当にありがとうございました
全て読ませて頂きました
さて、私は現実社会での生活に苦しみが多い人ほどネットの中に新しい(理想的な)世界を望むように思います
本名も住所も嘘も真も本音も上っ面も何もかもを「インターネット」という秘密のカーテンの中に隠して、まるで第二の人生を探すかのように彷徨ってみたり
こんなこと誰でも一度は身に覚えあると思います
2chもmixiもインスタもTwitterもおーぷんもネトゲもブログも全部似たようなものと言えるかも知れません
かくいう私もしっかりそんな経験の持ち主です
現実は辛いですもの
でも、そういうネットの基本ルールも、やはり現実社会でのルールが採用されてるんですよね
考えてみると納得なのですが、ネットでも現実社会で培った対人スキルを使うしか他に手段はありません
誰でも無礼な人は嫌だし敬意も払って欲しい
押し付けられたくないし喧嘩も売られたくない
理不尽は避けたいしトラブルにも巻き込まれたくない
権利を侵せば訴えられて、警察も介入してきます
反りが合わなければ疎遠にもなります
モラル大切!
あれ?これじゃあまんま現実社会です
一方で誰しもに「ネットの中でくらいは現実社会で我慢することを我慢したくない!楽しく過ごしたい!」と願う気持ちがあります
発散したい欲求です
そこに大きな矛盾が生じます
ネットでは、他人に現実社会のルールという理性やモラル、礼儀を求める心と、しかし己だけはそれに縛られたくないストレスフリーで許されたい気持ちが同居するのです
なんてことだ…それはヤバいぞ?と、気付いた人はネットでの日々起きる数多の騒動に参加せず、人気者にもキャーキャー飛びつかないように思います
消費物として瞬間的に注目を浴びること、またはファンとしてそれに付いていくことに虚無感のような気持ちを持つといいます
なぜならそれは泡のように消えるからですね
きとんむさんも今はそれに近いかもしれません
過去、瞬間最大風速として注目を浴びたのに、それが今となっては積み重なった成果物になっていない
だからなんとも言えない気持ちになっているのかもしれません
虚像ってそういうものなのですが、そんなことを簡単に受け入れられれば苦労はないですもんね
そんなのある種の悟りです
しかも、ネットの中であっても私利私欲を出せば、現実社会と同様にトラブルを増やしたり嫌われたりすることも多々あり
そう考えた時、見えてきます
あれれ?インターネットも現実社会もルールは丸っきり同じなのでは??と
むしろだれもが匿名性をお得要素と勘違いして理性のストッパーが外れやすく、それゆえにトラブルや暴言、不義理が起きやすいのでは?と
現実社会よりもストレートなやり取りが行われるネットにも、もちろん現実社会以上に利害関係もあります
金銭のやり取り、風評被害、人気の上がり下がり、炎上、トレンド上位、配信者ランキング
イイねもアクセス数もフォロワーも互いに利害関係の上に成り立っています
ひいては政治論争、何らかのファンの対立、フィッシング詐欺サイトへの誘導リンク、商材販売
挙げればキリがありません
そしてそれらは現実社会でのイベントや立ち位置にも影響します
Twitterトレンド1位になれば現実社会での知名度は一気に跳ね上がりイベントやテレビに呼ばれチヤホヤ、炎上すれば家まで押し掛けられ引っ越す羽目になることもある
きとんむさんも多くの人の目に付いたことで助けられたこともあると思います
それも利害関係の一つですね
また、利を与えても報われなかった(客観的な事実かどうかは別として)なら、その人にとっては害を受けた(損をした、踏みにじられた、裏切られた)ということになるやも知れません
不公平には不満が返ります
不義理には怨みが返ります
これも現実社会と同じです
そしてその不満を「見限り、縁切り、反発、攻撃、追い出し、周知」という形で表す
これも現実社会と同じです
それならば
顔も知ってる
名前も知ってる
連絡先も
家も知ってる
間違いなくこちらの方が人は理性的に行動します
トラブルを起こしたら逃げも隠れもできませんから、よりルールを守ろうとするのは道理ですものね
現に誰もジャニーズビルの前でTwitterに書いているような文句を叫んではいません
ネットだからこそあそこまでボロクソ書けるだけです
現実社会の方がよほど人は理性的なのです
もしもそうだと仮定すると、現実社会で生きづらい人がネットに居場所を求めるってどうなんでしょうか?
実のところ私は「俺はネットでしか本音が言えない。現実社会で本音を言えば誰もいなくなる。」と大マジに思っているタイプでした
でも誰も現実社会で本音を言ってないんですよね
もちろん誰もが様々な本音を持っているんです
でも言わない
言えないし言わない
私はそれをしたくてネットに入った
思い出したくない古い過去です
でもそもそもからして現実社会で本音を言えないと悩んでいた私がズレていたんです
本音なんて言ってる人まぁ滅多にいないですもん(笑)
だからって、ネットで本音を言うとハブられる
そりゃあそうです
ネットも現実社会と同じ線上にあります
基本ルールは同じなんです
敬意、礼儀、モラル、義理、返礼そこからスタートです
私もきとんむさんもネットをしていても現実社会に生きていて、ネットは単なる社会の一部に過ぎません
ネットに別世界めいた何かを求め、仲良くなったら現実社会で飲み会したいよね
焼肉でも行こうよ
あ、でも本名は言えないけどいいよね
みたいなやり取り
連絡はDMで
なんかこれ、ね
自分にとって都合よくその時その時でネットとリアルを解釈して身を守るために使い分けてるんですよね
情けないことに私の場合はそうでした
本当にお恥ずかしい
きとんむさんはインターネットに何を求めるか
何を求めているか
赤の他人である私には「理想」を求めているように思います
でもこの答えはきとんむさんだけが出せるんですよね
長々と書いてしまい、お目汚し失礼しました
季節の変わり目ですので風邪など気を付けてください
(締めの言葉も現実社会と変わらんですねって変な気持ちになります。本当にネットって何なんですかね。)