稼いだお金は誰のお金?

こんばんは、おはようございます。

仕事が終わって、晩ご飯を食べずにソファーで寝てしまいました。

病み上がり2日目が終わり、また調子が悪くなってきました。

 

元気な時であれば、些細な出来事として処理出来るはずですが、今の僕には出来ないみたいです。

 

いまだにストレスになっている事はいくつかありますが、今日は一昨日の出来事を話します。

 

稼いだお金は誰かお金?

 

皆さん承知の通り、僕には借金があります。

借りてる人も何人もいます。

返済を待ってもらっている方もいます。

 

ギャンブルから離れ、新たな趣味を探そうとしていました。

小学生のころは、親父とよく釣りに行ってました。

最近また再開して、楽しんでいこうかなと思っていました。

 

前回のブログにも書きましたが、約2万円弱の釣具を買おうか迷っていました。

人にお金を借りている状況でお金を好き使っていいものか悩みました。

1週間、2週間と考え、ようやく一昨日、買う決心をして母に「給与分から釣具代1万5000円を出しとして欲しい」と頼みました。

 

母から帰ってきた返事は、Noです。

今は、釣りにお金を使うべきではなく、友人に返済するのが先である。

釣りは親父もするので、買って貰えばいいじゃないか。と

 

今月は、誕生日だし、ギャンブル以外の楽しみに少しお金を使ってもいいんじゃないかと思っていた僕にとって、決心を揺るがす一言でした。

 

家業を手伝い、貢献できているかはわかりません。

ただ、給料として貰ったお金

好きなことに使うことは間違えなのでしょうか。

 

昨日は、仕事しながら、その事について

何が正しいのかずっと考えてしまいました。

これから長い返済期間が続きます。

好きなことや趣味にお金を使わずに、返済を優先すべきなのでしょうか。

 

僕の中では、1つ考えがありました。

好きなことや趣味にお金を使えば返済は、遅くなる。

でも、自分がやりたい事や好きな事をして、生きるモチベーションが上がれば、家業の習得も早くなるかもしれないし、副業も頑張れるかもしれない。

使ったお金以上に稼げるようになれれば、それは自分への投資ではないかと。

そう思って、今回は買ってもいいかな、と決心したつもりでした。

 

ただ、僕には自信がありません。

自己肯定感もありません。

 

母にそう言われれば、また気持ちは揺らいでしまいます。

自分というものを強く持っていれば、こうはならないのですが。

 

母が言う事は、確かに正論です。

僕も理解はしています。

 

ただ、自分のご機嫌は自分で取らなければなりません。

また、潰れて返済が滞ればもっと悲惨な状態になります。

 

そして、心の葛藤が延々と続き疲れてしまいました。

また脳がバグりそうです。

 

もう、釣りなんて辞めようかな。

友達飲みに行ったりするのも辞めようかな。

 

僕は結局、何も言い返せませんでした。

自分の意見を理解してもらおうと、説明する元気も今はありません。

正直、もうどうでもいいです。

疲れた。

 

今週は、仕事が忙しそうです。

休みたいけど、休めそうにもありません。

でも、やっぱり限界近いです。

全然治ってませんでした。

 

またダウンするかも。

お疲れ様でした。

最後まで読んでくださりありとうございました。

 

追伸

僕のブログを全て読み返して、拍手ボタンを押してくれた方がいました。

ありがとう。

14
時事
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コメント

  1. cabin より:

    こんにちは^^
    はじめまして

    何となく検索してたらここにたどり着きました
    まだ全部は読めてませんけどこれからゆっくり読まさせていただきますね

    まずは挨拶だけで失礼します

    • きとんむ より:

      こんにちは、cabinさん
      ご丁寧にありがとうございます。
      よろしくお願いします。

  2. こんばんわんこそば より:

    こんにちは
    どうにも大変ですね
    心労もいかばかりかと存じます

    今回のお話は、母上様の言うことが正しいのは明白です
    そんなのわかってますよね
    わかった上で苦しいんですよね

    少しその苦しみの糸のもつれ方を覗いてみましょう

    私個人が考える結果を先に言ってしまえば、苦しみの根底は矛盾にあるように思います

    私はきとんむさんの言うことも理解できますよ
    そりゃあ楽しみもなきゃやっていられません
    何か喜びがなきゃ生きていけません
    同意します

    だって私は他人ですからね

    物価高が果てしなく加速して増税まみれの昨今で、私はきとんむさんのために食事を用意する必要もないし、家を維持する費用も負担していません

    私はきとんむさんの生活を助けていないからきとんむさんの苦悩に簡単に寄り添えます

    そりゃあ楽しみも欲しい

    しかし母君はどうでしょうか?
    父君はどうでしょうか?

    これはきとんむさんが甘えているとかそういう話ではなく、現実にきとんむさんの生活基盤がご両親の金銭によって成り立っているという事実があるという話です

    もちろん家にお金を入れていると思います
    しかしご実家でのきとんむさんの食生活や生活環境はその金額ではまかなえません
    家事をする労力だってあります
    掃除も料理も片付けもあれば支払い管理や様々あるのは、きとんむさんもご存知のはずです

    そうなんです

    きとんむさんの今の生活は、ご両親の神体的、心理的、経済的援助によって成立しているんですね

    他人はそんなことしません
    きとんむさんも他人にそんなことできますか?

    親だから出来るんです

    これは「親はありがてぇよなぁ」なんて陳腐な話ではなく、単純な現実です

    ここで一度ご両親の立場に立って見ましょう

    ご両親はいずれ自分たちがきとんむさんを支えられなくなる日のことを憂いているでしょう
    そうでなければ今現在を支えたりしないからですね

    そして自分たちがきとんむさんに助言や、誤っている行いについて話すことができなくなる日が来ることを誰よりも知っています

    それは途方もない心残りであり、経済的な事を省いたとしても心労です

    その降り注ぐ痛みの中で、しかし必死にきとんむさんの生活を支える原動力は愛情です

    ここに一つ目の矛盾があります

    もしかしたら、きとんむさんの中に幼少期から澱のように残る家族愛への哀しみを過去に与えたかもしれない人が、今こうして絶え間ない愛によりきとんむさんを支える矛盾です

    この矛盾によりきとんむさんの中に乱れが生まれます

    きとんむさんの人生を振り返り、考えた時、きとんむさんにはきとんむさんにしか分からない苦しみや悲しみや傷みがあり、もしかしたら病や障害を持っているやも知れません

    きとんむさん自身も感じる、手に負えない感触
    しかしだからといって追いかけるのをやめられない理想

    ここに二つ目の矛盾があります

    自分を受け入れるという言葉をよく聞きますが、これは別に開き直ろうとか、現実を直視しようぜなんて意味ではありません
    ましてや、みんな手持ちのカードで勝負するしかないのさ…なんてスヌーピー語録でもありません

    自分を受け入れるということは、自分を愛する行為を怠らないということです

    その結果、自分を愛せるかどうかではなく、愛そうとする努力を怠らないということです

    では、愛そうとする努力とはなにか?

    他人でもいいんです
    自分でもいいんです
    ペットでもいいんですよ

    愛そうとする努力って何ですかね?

    愛そうとするってなんですかね?

    愛するってなんでしたっけ?

    愛って何でしょうか?

    ここがわからなければ自分を愛する努力はできません
    ということは、自分を受け入れることもできません

    愛って何でしょう

    もちろん答えは様々ありますが、今回の場合は

    「尽くすことを知る」

    が、一つ当てはまるのではないかと思います

    先の一つ目の矛盾の答えがここにあります

    きとんむさんのご両親は今、何ら見返りもなくきとんむさんの人生を支え、どう思われようとも今きとんむさんが何を成すべきかを説き、後に遺す息子の人生を憂いています
    何もかも親というだけの理由で、です

    誰もが歳月を経て変わる中、ご両親は歳を重ね、家族に尽くすことを知ったのです

    言い方は悪いですが、きとんむさんのご両親にとって今後人生がキラキラと華やかに彩られるチャンスはほとんどないでしょう
    (嫌な言い方でごめんなさい。
    こんなこと書いてる私にもそんなチャンスは無いです)

    自分達の老い支度に世の中の様々な不穏な変化、戦争のきな臭い香り、物価高に増税、増える移民に人口減少、そして息子を支える毎日

    ただ多くの憂いの中で日々を生きていくだけです
    それは達観でもなければ諦めでもなく現実です
    そしてその中で生きる

    これが二つ目の矛盾の答えですね

    自分を受け入れるとはこういうことです

    誰かを大切にすることが、巡り巡って己を大切にしているんです

    若い頃に抱いた理想も、憧れも栄華も、大きな楽しみも、捨てきれない夢も、眩しくてキラキラ光る羨ましさも

    方々へ手放して、家族との生活に生きる
    その中で起きる苦しみと共に生きる

    それがきとんむさんのご両親の、自分を受け入れ生きるということになるのではないでしょうか?

    では、きとんむさんの場合はどうでしょうか?

    積み重なり先の見えない返済
    コントロールできない心の傷み
    止められない憧れを追う心
    人並みという言葉への呪い

    ある!
    これはあるんですよ!誰にも誰にでも

    だからといって苦しいのは今ここにいる私自身だと叫ぶ気持ちも誰にでもある

    なぜそのようなことをやめられないのか

    何もかもを受け入れ支えているご両親がいてもなぜダメなのか

    なぜ赤の他人の中に最強の味方を追い求めてしまうのか

    どうして期待することから手を離せないのか?

    それは、きとんむさんの求める結果をもたらすエネルギー源が他人由来だからです

    言ってしまえば、誰かの力によりきとんむさんの満足が得られるからです

    嫌な言い方ですよね
    すみません
    しかしこちらもBAN覚悟です

    これ、借金と同じです

    稼いでいないお金を手にしてチャンスを得て、結果をものに出来なかったから苦しい

    恋人も、Xのいいねも同じです

    ぶっ倒れそうな時支えてくれる優しさを持った女性
    どんな自分でも、手を離さないと誓って歩んでくれる人

    きとんむさんの本音を赤裸々に書き込んで、応援してくれる人を募る行為

    このどちらも相手に根本的な喜びはありません

    恋人になる人だって幸せ探してるんですよね

    Xでイイねしてくれて元気が出るのは良いですが、おねだりするのは違いませんか?

    インプレに対してイイねが少ないなんて、「イイねをよこせ」と言ってるのと同じです

    だからあのポストに私はイイねしませんでしたよ
    だって脅しみたいなものですもん

    イイねしない人は冷たいね、僕のことなんかどうでもいいもんね、知ってるけどね…って

    ここに三つ目の矛盾があります

    味方探ししてるのに敵対心をあらわにすることです

    ふわっちのイベントの件も同じことです

    過去の成績がイマイチだったのでやめときますっていうの
    あれ、書かなければ良かったのに
    今までイベントの時に必死に応援した人もガッカリです

    単に平日だしやめときますねって、それで良かったじゃないですか?

    おそらく私のこの書き込みはあまり好意的には受け取られないと思います

    辛いですよねわかります
    イイね押しておきますね
    次のイベント楽しみにしてます
    きとんむさん応援してますよ
    お身体大切にしてください

    こんなこと書いたら喜ばれたのかもしれません

    でも無意味なんですよ
    きとんむさんはそれがどれだけ積み重なっても虚無感を感じています

    そりゃ一瞬の回復魔法みたいな効果はあるやもしれません
    ふと元気出たり
    でも何分保ちます?

    攻撃してるんじゃないんですよ

    もっとちゃんと家族や他人のことを見てみましょうという話です

    利用するのやめましょうよ

    イイねのために
    イベントアイテムのために
    気晴らしのために
    味方がいると思いこむために
    逃避のために
    生きていくために
    お金のために

    他の人を使うのやめませんか?

    釣りもしたいと思います
    悩み悩んで得た楽しみの可能性、光って見えたと思います

    快く良いよと母君に言ってほしかったと思います
    楽しく釣りに行きたかった事でしょう

    でもね

    今はね

    ですよ

    きとんむさんと、きとんむさんのご家族以外の誰も、きとんむさんのために生きていないのです

    • きとんむ より:

      コメントありがとうございます。
      人生のヒントを教えてくださったことに関しては感謝いたします。

      正直に言います。
      こんばんわんこそばさんも、以前居た方と似ていますね。
      その方も最初は、寄り添ったコメントで僕は信頼をしていました。
      ただ、ある時から私を否定するようになりました。
      こんばんわんこそばさんも今後、どのようになられるかわかりませんが私にはそのように感じました。

      その方の本心は、僕にはわかりませんが、
      私が期待通りにならないことにイラ立っていたように思います。

      正論もいりません。
      正論とは正解ではないですよね。
      人生に正解はないですよね。
      結果的に良い方向に向かえば、不正解だと思う選択肢も成功と言えると思っています。

      イベントに出ない経緯も僕ならこうすべきであると考えていろいろ公開しました。
      これは僕の価値観です。
      イベントに出ない理由を、誤魔化すのも僕は好きではありません。
      応援してくださった方々にその方が失礼だと僕は考えています。

      言葉足らずのところがあれば、すみません。

      その他のことに関しては、今後ブログにて思っていることを述べようと思います。

      • きとんむ より:

        すみません、否定的なことも含まれていたので今までと同じように捉えてしまったかもしれません。
        私にとって、全てを理解するにはもう少し時間がかかりそうです。

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